
東京都港区青山生まれ O型 ひとりっ子
「祖父」「父」「父のいとこ」が有名シンガーという恵まれた音楽環境の中、3歳の頃よりクラシックピアノ、音楽理論、作曲法を日本を代表する作曲家で「題名のない音楽会」の司会でも有名な故・黛敏郎氏に師事。1度聞いた曲を好きなアレンジで弾きこなす絶対音感はこの頃知らぬ間に身についた。現在もこよなく愛するショパンの演奏も幼い頃よりマスター。6歳より作曲開始。
中学時代は巨人・原辰徳に憧れ、野球に熱中。野球部と器楽部(バイオリン担当)、そしてピアノレッスンとを両立。高校では野球に更に熱中。甲子園をめざし2年生時よりピアノは全く弾かなくなり、ピアニストへの道を薦めてくれた黛氏より大顰蹙。大学入学後、バーやラウンジ等でのピアノ演奏そして弾き語りに復帰。卒業時には音楽家への道も考えたが、父の一言「一般社会を一度は見た方がいい。これからの時代は音楽は小椋佳さんみたいにやる方がいい」で一般就職への道=サラリーマンとなった。
就職後も決して音楽から離れる事なく、仕事をする傍ら趣味として作品は作り続け、時折行うLIVEでは自作曲をピアノ弾き語りや、仲間とのバンドと演奏したりしていた。2004年秋、友人たちと作っていたデモ・テープがたまたま音楽関係者の手に渡り、人づてに音を聞いたビクターエンタテインメントより歌手デビューのオファーが来る。会社の上司の後押しもあり、会社員と音楽家の二束のわらじを履くことを決意。2005年5月、デビューシングル「風のわだち」で満を持して3代目サラリーマン・シンガー=TAROかまやつが誕生した。
そして9月、初のアルバム「ピアノマンの詩(うた)」をリリース。ピアノと歌の世界感、花をイメージしやすい優しい楽曲が評価され、日比谷花壇のイメージキャラクターにも就任。いよいよ本格的に音楽家の道を歩み出すことになった・・・
2006年より全国のイベント出演をしたり、東京を中心に行っているワンマンLIVEではクラシックで磨かれた抑揚の効いたオリジナリティ溢れるピアノ演奏とそれに交わる優しく甘い歌声、そしてTAROならではの恒例となっているリクエストコーナーで言われた楽曲をその場でアレンジを付けて即興で弾いてみせるなど、生まれ持った絶対音感と卓越した音楽的な才能をいかんなく発揮している。4月からはFM北海道及びFM山陰(島根&鳥取)で放送のFMラジオ番組「TAROかまやつピアノマンの部屋」がスタートしている。